みなさん、こんにちは。
今回はこのテーマで書かせていただきます。『 人に厳しく、自分に甘い。 』( 「えッ・・・」 )勇気をもって伝えてくれた友人には
心の底から感謝しています。「 このチームを強くしたい 」
中学生の時に
サッカー部キャプテンとして "高い志" がありました。自分自身の
"正義感" をふりかざして
選手に厳しくあたることもありました。すこしずつ人が離れていくのが
"ヒシヒシ" と感じます。( 「強くなるためには仕方ない・・・」 )
自分のなかで割りきって行動していました。とある日。
私は、1~2分程度 遅刻して
集合場所のコンビニに到着しました。選手は商品を購入していたりしたので
何ごともなかったかのように
チームに合流しました。それ以外にも
人が "ルール" を守らなかったときには厳しく
自分が守らなかったときはうやむやにしていました。
「白」だったものが 私の一言で
『黒』にひっくり返るような存在だったので
周囲の人は "塵も積もること" があったように思います。冒頭に述べた言葉を友人に言われて
正直、心の中で
「救われた・・・」と思いました。この事実を10代前半に言われていなければ
20代、30代、40代・・・
悲惨な人生になっていたかもしれない。もちろん今でも至らないことはあります。
ただ・・・人に厳しく言うからには
自分もしっかり【ルール】を守ること。
ここに "気付けたこと" が大きかったです。
言われる側も厳しく自分のことを見ようとします。
揚げ足もとりたくなるでしょう。なおさら厳しく "自分を律していかない" と
みんなが同じ方向を向かって進んでいくことは
むずかしくなってくるように思えます。その時から
「時間」や「ルール」を守ること。
"言動を一致させるため" に行動を改めました。ー 率先垂範 ー"雑用" や "トンボがけ" も
誰よりも一所懸命おこない
周りの見る目も "すこしずつ" 変わっていったように感じます。著者・渋沢栄一の
「論語と算盤」(訳:守屋淳)には
このようなことが書かれていました。人の行為がよいのか、悪いのか
その「志」と「振舞い」の二つの面から比較して
考えなければならない。『志』において「人のためになりたい」としか思っていなくても
その「振舞い」が人の害になっていては
善行とはいえない。このように記されていました。"こうしたい" と思ったとき。言動を一致させることが
「ものごとを動かす」
"第一歩かな" と感じます。